高3長女が、「ちょっと、私あの団体サポーターのやりたいんやけど、どないしたらええんかな」とききに来てくれた(≧▽≦)
母はもうその気持ちだけで感無量なんだけど、その後自分で文言を考えて発信してくれてた…(T_T)
とりまとめの人がお仕事を担ってくれることで、クラファンがどうしていいかわからない方や、学生さんなどもお気軽にサポーターになれる団体応援サポーターコース。長女が自主的にとりまとめを始めてくれたようです。
長女は全力でスクールライフを楽しむタイプなので、部活でも行事でもいつでも100%。
そのうえ、勉強も大変な学校ですがあきらめも悪く、課題に追われてへろへろに。それでも遊びや楽しむことも手を抜かないのでとにかくずーーーーっと忙しそうです(誰に似たのでしょう(笑))
それでもこないだふと、彼女が生まれた17年前、私は今の彼女を想像できただろうか、と久しぶりに思い出しました。
長女は全然ふつうのあかちゃんではありませんでした。
肌がアトピーでいつもただれていました。
卵・乳製品・小麦は、そばにあるだけでショック状態になるほどのアレルギーでした。
季節の変わり目にはアトピーと喘息で寝られない日が続きました。
周りの子と比べてひときわ小さい小さい子でした。
なんで、うちの子だけ…??
つるんときれいなお肌でフクフクと大きく育っている周りの子を見て、自分が悪い母親だからじゃないかと自分を責めたものです。
人間にとって健康になるために食べるものだと思っていた卵や乳製品が、こんなにはっきりと「毒」である人が存在するんだ。それが、私の唯一の子どもがそうなんだ。このことは、当時の私には世界がひっくり返るほどの衝撃な出来事でした。
日常的にショック状態を起こしていた長女を見て、この子はどうやって青春時代を過ごせるんだろうと不安になったものです。
あの日から私は、食のプロになれるくらい、毎日ごはんのことを考えていました。
除去食で代わりになるもの、成長に栄養になるもの。大量の薬漬けにしなくてもこの子がふつうの生活を送れるように成長してくれる食べもの。それでいて、やっぱり毎日の楽しみであるもの。私が苦しすぎないこと。集められる情報を集め、行動し、挑戦し、失敗し、発展し…そうやって、うちのごはんは作られてきたのかもしれません。
今、彼女は卵・乳製品のアレルギーはもちろん残っていますが、近くにあるくらいなら大丈夫。
小麦は解除、アトピーは薬なしで一応セーフ、喘息は少量の薬を上手に使ってコントロールしながら、めいっぱいで青春を謳歌しています。学校のアメリカ研修へも、ホームステイへも、自分でアレルギーの説明をしながら、ちゃんと身を守って帰ってこられるほど、自分の体をよく知り人生の楽しみ方を学んでくれているようにみえます。
もうすっかり、あの日の不安を忘れるほど明るい彼女ですが、改めてあの日々を思い出すと、「ごはんのうた」が生まれたことは必然だったのかなあと。そして、彼女こそ身体をはって「人間と食との関係」を私に叩き込みにきてくれたように思わずにはいられません。
毎日のごはんは、本当にシンプルだし、時短だし、品数もレパートリーも自慢できるようなものじゃない。
でも、ごはんに込める思い
あの日からずっと
まいにち まいにち ごはんに愛と祈りを注いできたよ
天使のようだった長女に、いつの日か思春期が来て、母に大きく抵抗してくれた日々。
私も動揺して自分を見失う程ぶつかった日も。
でも今、毎日笑顔でこのプロジェクトを一緒にできる時間より ありがたいご褒美ってないように思いました。
やっぱり
あたしのごはんは せかいいち
なのかもしれないなぁ
ごはんのうたプロジェクト